スナフキンさん
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【映画】モリエール 恋こそ喜劇
写真1を見る写真2を見る【題名】モリエール 恋こそ喜劇
【監督】ローラン・ティラール
【出演】<モリエール>ロマン・デュリス
<ムッシュ・ジュルダン>ファブリス・ルキーニ
<マダム・ジュルダン>ラウラ・モランテ
<リュディヴィーヌ・サニエ>セリメーヌ
<ドラント伯爵>エドゥアール・ベール ほか
【会場】Bunkamuraル・シネマ(渋谷) 15時50分~
【料金】1800円
【感想】
天才劇作家と言えば、日本には世阿弥(14C)が、そしてイギリスにはシェークスピア(16C)が居たように、フランスにはモリエール(17C)が居ました。そのモリエールを題材にして2007年にフランスで製作された映画「MOLIERE」(原題)がBunkamuraル・シネマで上映されているというので観に行くことにしました。因みに、俳優の江守徹さんはモリエールに因んで芸名を付けたそうです(モリエール→モリエ→エモリ)。この映画は伝記映画ではなくフィクション映画ですが、モリエールの伝記で空白となっている2ケ月間(劇団が破産して投獄されたモリエールが釈放後に姿を晦ました2ケ月間)に焦点を当てその2ヶ月間にモリエールの身に起こったことをフィクションとして描いています。しかし、これが単なる作り話という安っぽい代物とも異なり、(登場人物の名前を見てもお分かりのとおり)「町人貴族」「人間嫌い」「タルチェフ」「ル・バルブイエの嫉妬」「守銭奴」「病は気から」「才女気取り」「スカパンの悪だくみ」などなどモリエールの作品のエッセンスを盛り込んでフランスのエスプリを散りばめながら、それでいて単なるモリエールの作品の焼き直しとも異なりモリエールの視線を通して「喜劇」というものの本質を描き出そうとした意欲作だと思います。ネタバレしてしまいますのでここでは詳しく書きませんが、クライマックスでモリエールとマダム・ジュルダンの遣り取りが印象深く心を捉えます。
http://www.cetera.co.jp/moliere/現在、公開中の作品なのでネタバレしない程度の感想を残しておきたいと思いますが、時間がないので後で感想を書き足します。続く、、、、。
現在、感想を執筆中。
評価:★★★★★
第89回川崎市定期能
写真1を見る【演題】第89回川崎市定期能
【番組】狂言「悪坊」
<シテ/悪坊>三宅右近
<アド/僧>三宅右矩
<小アド/宿屋の主人>前田晃一
能「巴」
<前シテ/里の女>観世恭秀
<後シテ/巴御前の霊>観世恭秀
<ワキ/木曾国の旅僧>野口敦弘
<アイ/粟津の里人>三宅右近
<後見>岡本房雄、武田尚浩
<大鼓>高野彰
<小鼓>幸信吾
<笛>槻宅聡
<地謡>酒井純一郎、新江和人、金子聡哉
勝海登、武田宗和、小川明宏
【場所】川崎能楽堂 13時~
【料金】4000円
【感想】
これまで川崎能楽堂へ行ったことがなかったので、今日は川崎能楽堂へ能鑑賞に出掛けることにしました。マンションの敷地内の奥まったような場所にあり、事前に地図でよく下調べして行かないと分かり難いかもしれません。公民館や集会所のようなスペースに簡易の能舞台が設えてあり、客席数が少なく柱もないので死角となる席はありません。
先ず、狂言「悪坊」ですが、酒に酔って長槍を振り回し狼藉を働く悪坊が通りすがりの僧に言い掛りを付けて宿屋へと連れ込みます。僧は悪坊が寝入った隙に悪坊の長槍、脇差、小袖と自分の唐傘、助老、羽織を交換して立ち去ります。酔いから醒めた悪坊は記憶がなく自分の長刀、脇差、小袖が唐傘、助老、羽織に変わっているを見てこれは悪行を慎めという仏のお導きに違いないと改心するという話です。三宅右近さんが悪坊を好演し、前半での粗野で傍若無人な酔狂振りが後半でシラフに戻って改心する神妙な様子に一層とペーソスが感じられて身に染みました。また、前半では長槍にドオドしていた三宅右矩さんが演じる僧が後半で悪坊が寝入ると強気に転じる変わり身も面白かったです。現代でも普段は気が小さく真面目なサラリーマンが酒によって駅員に狼藉を働くなんてニュースは珍しくありませんが、昔から人間の本性はちっとも変わっていないことを感じさせる共感溢れる作品で楽しめました。
次に、能「巴」ですが、武将(男性)ではなくその愛人(女性)を主人公とした珍しい修羅物で僕は初めて観る作品でした。僕はあまり修羅物を好みませんが、この作品は複式夢幻能の魅力に溢れる非常によく出来た作品で気に入りました。ちょっと時間がないので、後で感想を書きます。続く、、、
現在、感想を執筆中。
評価:★★★★★
イタリア印象派「マッキアイオーリ」展~光を描いた近代画家たち~
写真1を見る【演題】イタリア印象派「マッキアイオーリ」展~光を描いた近代画家たち~
【展示】ジョヴァンニ・ファットーリ 「水運びの娘」(1891年)
「森の中の農民の娘」(1861年)
テレマコ・シニョリーニ 「フランスのスアーヴ兵とトスカーナの大砲のルビエラ入城」(1860年)
「セッティニャーノの菜園」
「セッティニャーノの行進」(1860年)
シルベストロ・レーガ 「庭園での散歩」
「ジュゼッペ・カリバルディの肖像」(1861年)
「乳母を訪ねる」(1873年)
「母親」(1884年)
クリスティアーノ・パンティ 「農民の女性たちの集い」(1861年)
ラファエッロ・セルネージ 「わんぱく坊主(イチジク泥棒)」(1861年)
アドルフォ・トンマージ 「田園詩(逢瀬)」(1884年)
エジスト・フェローニ 「魚釣り」(1884年) ほか多数
【会場】東京都庭園美術館
【料金】1000円(但し、招待券を貰った)
【感想】
今日は知人からマッキアイオーリ展のチケット(招待券)を貰ったので仕事帰りに寄ってみました(実はこの展示を観に行くのはこれで2度目)。しかし、日本の美術館は閉館時間が早く、仕事帰りにゆっくりと絵画を鑑賞するようなゆとりはありませんな。これまで美術館へ行ったときの感想などはアップしていませんでしたが知人の強い勧めもあったのでアップしてみたいと思います。..といっても、絵心がある訳ではなく鑑賞のポイントなども心得ていませんし、個々の絵画について云々するほどの薀蓄もありませんので、個々の絵画について感想を書くのは断念します(苦笑)
http://www.teien-art-museum.ne.jp/index.html1850年から1860年頃にかけてワインの産地としても有名なトスカーナ地方で旧来の画法に疑問を抱いた若い画家達が色の斑点(マッキア)で自然界の光や色彩、明暗が織り成す関係を捉える技法を生み出し、フランス印象派の先駆けともなりました。この展覧会は約60点のマッキアイオーリ(マッキア派の画家)の作品が展示されていますが、光の扱い方が上手く、それが被写体の本質を照らし出しているようで、自画像、風景、日常生活や戦場の兵士たちの姿に至るまで詩情豊かに描かれた名品の数々を堪能できました。「1枚の絵は千の言葉を語る」というフランスの諺がありますが、時に絵画は写真よりも鮮明に被写体の真実を描き出していることがあります。絵画からは風の匂いや日差しの温もりなど画家が視覚以外の五感で感じていたことも伝わってくるようですし、絵画に描かれている人物の表情にはその人の人生までも描き込まれているようで惹かれます。そんなことを色々と感じさせてくれる名品の数々でした。もう直、この展覧会は終わってしまいますが、何とか時間を見付けて、もう一度くらい観に行ってみようかと思っています。なお、代官山アドレス1階にトスカーナ産のワインを豊富に扱うエノテカ系列のリストランテ・ラ・トスカーナ(Ristorante La Toscana)がありますが、トスカーナ地方で生まれたマッキア派の絵画を観た後は同じトスカーナ地方の料理とワインで余韻を楽しむなんて休日の過ごし方はいかが?エノテカ系列の店なのでワインの種類は豊富ですし、サービスや料理がしっかりしているのに料金はリーズナブルなので、昔はよくデートなどに利用していました。店に通い詰めてソムリエに顔を覚えて貰うと、ワインリストに載っていない好みに合った飲み頃のワインをワイン庫から出してくれたりもします。最近はDOCGのワインが銘柄によってはハウスワイン並みの手頃な値段で手に入るので、本当に手軽にワインを楽しめるようになりました。
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★
クラシカル・プレイヤーズ東京 演奏会
写真1を見る【演題】ショパン生誕200年記念 東京芸術劇場Presents(オリジナル楽器使用)
クラシカル・プレイヤーズ東京 演奏会
【演目】ヴィヴァルディ ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」第1集から「春」
<Vn>戸田薫
ショパン ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21
<Pf>仲道郁代(使用楽器:プレイエル・パリ1839年製作)
ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調 作品60
【指揮】有田正広
【楽団】クラシカル・プレイヤーズ東京
【会場】東京芸術劇場
【開演】15時~
【料金】4000円
【感想】
今日はプレイエル(ピリオド楽器)を使ってショパンのピアノ協奏曲が演奏されるというので聴きに行くことにしました。以前、小倉貴久子さんがプレイエルを使ってショパンのピアノ協奏曲の室内楽版を演奏するのを聴いたことがありますが、プレイエルを使ったフルオーケストラ版の演奏を聴くのは初めてです。
先ず、一曲目ですが、明度の高い清澄なサウンドと機動力を活かしたフットワークの軽さで清々しい演奏を楽しめました。あまり先鋭的になり過ぎず、程よく洗練された良い意味での中庸な演奏が心地良く感じられました。ソリストの戸田さんは冴え映えとした技巧で伸びやかに歌い、オーケストラは内声部が充実した彩り豊かな演奏による好サポートでした。
次に、二曲目ですが、やはりモダン楽器で聴く演奏とはひと味もふた味も違った味わいがありました。第一楽章からスタインウェイの輝かしい響きとは異なった木の温もりを感じさせる暖かい響きが印象的で、トリルなど小鳥の囀りのようなチャーミングな響きに惹かれました。スタインウェイのように華やかで伸びのある豊かな響きは期待できませんが、柔らかい響きで飛翔感がありショパンの曲のように装飾音が多い曲の演奏には向いているような気がします(..というより、ショパンがそういう楽器の特性を活かした曲を書いたと言うべきなのかもしれませんが)。仲道さんは軽快なタッチから重いタッチまで豊かなニュアンスで優雅に歌い、オーケストラも余分な贅肉のない均整のとれたすっきりとした演奏を楽しめました。第二楽章では内心から溢れ出す感情がそのまま音楽になっているような詩的で自然な歌い口の演奏に魅了されました。終結部ではオーケストラが奏でるまるで蝋燭の火が消え入るようなディミニエンドが素晴らしく余韻を引きました。第三楽章では仲道さんが饒舌なタッチで鍵盤を縦横無尽に疾駆し、オーケストラも精緻で機動力のある演奏で緊密に呼応する熱演が展開されました。なお、ファゴットとクラリネットが好パフォーマンスであったことを付言しておきましょう。アンコールとしてショパンのノクターン第20番<遺作>が演奏されましたが(仲道さんによれば、この曲にはピアノ協奏曲第2番第三楽章のリズムが使われているとのこと)、プレイエルの慎ましい音色で聴くと一層と静謐で味わい深く聴こえてきます。今度はプレイエルを使ってピアノ協奏曲第1番が演奏されるそうなので、今から楽しみです。やはり作曲家が聴いていた響きでその曲を聴くと、作曲家が想定していた音楽的な意図や効果が瑞々しく蘇ってくるようで新鮮な感動や驚きがあります。
最後に、三曲目ですが、第一楽章ではピリオド楽器ならではの余分な贅肉のない響きによってモダンでは埋もれてしまうような声部の動きがくっきりと浮かび上がり、各声部の呼応が明瞭な精緻で有機的なアンサンブルを楽しめました。クライバーの名演とは違った意味でこの曲が本来持っている瑞々しい生命力を感じさせる演奏に新鮮な感動を覚えました。第二楽章では第二主題を奏するどこか虚ろで憧憬感の漂うクラリネットが出色でしたし、第三楽章では身の引き締まった精悍でリズミカルなアンサンブルが素晴らしかったです。第四楽章では実に小気味良く肌理細やかな演奏が展開され、各声部の細かい動きも明瞭な解像度の高い演奏でベートーベンのユーモアも感じさせる溌剌とした演奏を楽しめました。因みに、クラシカル・プレイヤーズ東京は日本初のオリジナル楽器オーケストラだそうで、本日の演奏を聴く限りかなりクォリティーの高い演奏を楽しめます。
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★
横浜能楽堂企画公演「英雄伝説 義経」 第六回「義経を守り抜く忠信の忠義」
写真1を見る【演題】横浜能楽堂企画公演「英雄伝説 義経」
第六回「義経を守り抜く忠信の忠義」
【番組】琵琶・語り(『義経記』巻第五より)
<筑前琵琶>上原まり
能「忠信」
<シテ/佐藤忠信>宝生和英
<ワキ/伊勢三郎義盛>殿田謙吉
<ツレ/源義経>大坪喜美雄
<ツレ/義経の従者>田崎甫
<ツレ/義経の従者>今井基
<ツレ/法師武者>水上優
<ツレ/衆徒>小倉伸二郎
<ツレ/衆徒>和久荘太郎
<ツレ/衆徒>澤田宏司
<ツレ/衆徒>辰巳大二郎
<ツレ/衆徒>川瀬隆士
<ツレ/衆徒>辰巳和磨
<後見>辰巳満次郎、東川尚史
<大鼓>柿原弘和
<小鼓>古賀裕己
<笛>松田弘之
<地謡>金森隆晋、金森良充、亀井雄二、辰巳孝弥
東川光夫、武田孝史、金井雄資、小倉健太郎
【解説】三宅晶子(横浜国立大学教授)
【場所】横浜能楽堂 14時~
【料金】5000円
【感想】
今日は横浜能楽堂企画公演「英雄伝説 義経」の最終回を観に行きました。
先ず、三宅晶子さんと上原まりさんの対談から開始されました。このシリーズは、①三宅さんによるレクチャー、②上原まりさんによる「義経記」と「平家物語」を題材とした筑前琵琶の弾き語り、③源義経を題材とした能の上演という3本建てで進められてきましたが、本日は最終日ということで三宅さんと上原さんによる対談が行われました。上原まりさんによる筑前琵琶の弾き語りはてっきり出来合いの曲をアレンジしたものなのかと考えていましたが、実は毎回、上原さんが構成、作詞、作曲して作られたオリジナル作品だったらしく、その苦労話が披瀝されました。総じて作品の構成にメリハリがあって聴き易く、また、迫真の描写や豊かな叙情など表現力に優れた聴き応えのある作品又は演奏が多かったように思います。その他、平曲は天台声明が基礎になっていること、かつて義太夫の伴奏は三味線ではなく琵琶であったこと、五弦と四弦の琵琶の違いなどなど興味深い話を聞けました。
次に、三宅さんによる解説ですが、三宅さんですら能「忠信」を観るのは初めてというくらい上演機会が少ない曲だそうです。この曲についてはこれまで江戸時代後期の記録が残されているだけでいつ頃の作品なのか分からなかったそうですが、数年前に世阿弥が存命中の応永年間に演じられた記録が発見されてセンセーショナルを巻き起こしたそうです。謡曲本には世阿弥作又は禅竹作の可能性が指摘されていますが、正直、世阿弥や禅竹が作ったにしては魅力に薄い曲という印象を否めません。(尤も、現在伝わっているものは当時のものとは様変わりしている可能性もありますが。)
次に、上原まりさんによる筑前琵琶の弾き語りですが、義経記から、佐藤忠信が源義経を追う吉野の衆徒を一人で防ぐ場面が弾き語られました。豪傑、横川覚範との花矢倉の決闘は有名ですし、能「忠信」や歌舞伎「義経千本桜」の題材などにもなっています。冒頭、佐藤忠信の出自を語るところでは颯爽した登場感のある音楽と語りが印象的でしたし、吉野の宗徒との攻防戦を語る場面ではドラマチックな音楽と迫真の語りで聴き応えがありました。語りだけの場面から音楽を付してドラマチックに盛り上げる場面まで緊張と弛緩を巧みに織り交ぜたメリハリのある構成で楽しめました。
最後に、能「忠信」ですが、約30分弱の短い曲で、先述のとおり個人的にはあまり魅力が感じられない曲なので、正直、感想を書き難いです(^-^;) 義経が忠信に囮となって吉野の衆徒を食い止めるように命じる場面ではもう少し君臣の強い絆のようなものを丁寧に描いて欲しいところですが、やや情味に欠ける淡白な印象を否めませんでした。また、忠信が吉野の衆徒と斬り合う場面ではアクロバティックな楽しさはありますが、それ以上の「何か」が掘り下げられて描かれている印象はなく物足りなさを否めませんでした。やはり滅多に上演されないのは、それなりに理由があるということですな。なお、忠信が吉野の衆徒と斬り合う場面での洗練された立ち合いと能役者の身体機能の高さや、地謡の呼吸の合った謡いなどが印象的でした。
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★
宝生会 企画公演
写真1を見る【演題】宝生会 企画公演
【番組】仕舞「芭蕉」クセ
<シテ>近藤乾之助
<地謡>佐野由於、亀井保雄、小林与志郎、金森秀祥
仕舞「実盛」キリ
<シテ>三川淳雄
<地謡>佐野由於、亀井保雄、小林与志郎、金森秀祥
舞囃子「綾鼓」
<シテ>今井泰男
<大鼓>安福建雄
<小鼓>亀井俊一
<太鼓>金春國和
<笛>一噌仙幸
<地謡>朝倉俊樹、水上輝和、亀井保雄、近藤乾之助、前田晴啓
狂言「宝の槌」
<シテ>善竹十郎
<アド>善竹大二郎
<小アド>善竹富太郎
能「弱法師」
<シテ>三川泉
<ワキ>宝生閑
<アイ>善竹十郎
<後見>近藤乾之助、佐野由於
<大鼓>安福建雄
<小鼓>亀井俊一
<笛>一噌仙幸
<地謡>高橋亘、金森秀祥、朝倉俊樹、水上輝和
小林与志郎、今井泰男、三川淳雄、前田晴啓
【場所】宝生能楽堂 14時~
【料金】8000円
【感想】
今日は人間国宝の三川泉さんと宝生閑さんが共演するというので見に行くことにしました。三島由紀夫さんの近代能楽集で能「弱法師」を現代戯曲化したものは見知っていましたが、オリジナルの能「弱法師」を見るのは初めてです。仕舞と舞囃子の感想は割愛し、狂言と能の感想を簡単に残しておきたいと思います。
先ず、狂言「宝の槌」ですが、太郎冠者が主人の使いで宝を求めて都へきますが、悪党から打ち出の小槌であると騙されて太鼓のバチを買わされます。太郎冠者が主人の前で必死に打ち出の小槌(太鼓のバチ)から馬を出そうとしますが一向に何も出て来る気配がないので、主人が出世して新築の家を建てる音がすると言って機嫌をとるという話です。善竹十郎さんの惚けた演技が滑稽なおかしさを生んでいました。
次に、能「弱法師」ですが、他人の讒言により父親(河内国高安の里の左衛門尉通俊)から追放され、悲嘆のあまり盲目となった弱法師(俊徳丸)は天王寺で施行を行います。そこで、かつて見慣れた難波の美しい風景を心に思い浮かべ、その美しい光景に恍惚となりますが、往来の人に行き当たって我に返ります。そこへ父親が現れて弱法師を里へ連れ帰るというお話です。先ず、父親役の宝生閑さんが登場しますが、そのハコビに幽玄な趣があり見惚れてしまいました。やがて弱法師役の三川泉さんが登場しますが、非常に弱々しいハコビで現れ、深い悲しみを語る場面に惹かれました。悲しみを湛えた面が非常に印象深かったですが、何と言う面を付けられていたのかしら?少し面のことも勉強しなくては..。
シテ一セイ「出入の 月を見ざれば明暮の 夜の境をえぞ知らぬ 難波の海の底ひなく 深きおもひを 人や知る」
サシ一セイ「それ鴛鴦の衾の下には 立ち去る思を悲み 比目の枕の上には波を隔つる愁あり いはんや心あり顔なる人間有為の身となりて 憂き年月の流れては 妹背の山の中に落つる 吉野の川のよしや世と思ひもはてぬ心かな あさましや前世に誰をか厭ひけん 今又人の讒言により 不孝の罪に沈む故 思の涙かき曇り 盲目とさへなり果てゝ 生をもかへぬ此世より 中有の道に迷ふなり」
梅の花が散り掛る彼岸の中日に天王寺建立の縁起を物語る弱法師の姿を見て父は我が子であると気付きますが、人目を気に掛けて夜に声を掛けることにします。弱法師が梅の花を愛で遊ぶ純粋な心が一層と不憫さを際立たせていました。あまり動きのない地味な曲ですが、三川さんの間合いの良い語りや謡によって様々な心象風景が展開され飽きません。
シテ「憂たてやな難波津の春ならば 唯木の花とこそ仰あるべきに 今は春辺もなかばぞかし 梅花を折つて頭に挿しはさまざれども 二月の雪は衣に落つ あら面白の花の匂やな」
その後、弱法師は難波の美しい風景を思い浮かべながら歩き回りますが、三川さんが杖を効果的に使いながら心象風景を巡る様子を鮮やかに演じられていました。こういうシンプルな演出で豊かな舞台を創造してしまうところに能の醍醐味を感じます。弱法師が往来の人とぶつかって地面に転びますが、心象風景の世界から現実へと引き戻された弱法師が杖を手繰る姿が一層と哀れさを誘うもので印象深かったです。最後は父が弱法師を里に連れ帰り、宝生閑さんが金色の扇を広げてトメ拍子を踏むワキトメで終わりましたが、救いのある後味の良い舞台を楽しめました。
ワカ「住吉の 松の隙よりながむれば」
地謡「月落ちかゝる淡路島山と」
シテ「眺めしは月影の」
地謡「詠めしは月影の 今は入日や落ちかゝるらん 日想観なれば曇も
波の 淡路絵島 須磨明石 紀の海までも 見えたり見えたり 満目青山は 心にあり」
シテ「あう 見るぞとよ 見るぞとよ」
地謡「さて難波の浦の致景の数々」
シテ「南はさこそと夕波の 住吉の松影」
地謡「東の方は時を得て」
シテ「春の緑の草香山」
地謡「北は何処」
シテ「難波なる」
地謡「長柄の橋の徒らにかなた こなたとありく程に 盲目の悲しさは 貴賎の人に行き合ひの 転び漂よひ難波江の 足もとはよろよろと 実にも真の弱法師とて 人は笑ひ給ふぞや 思へば恥かしやな今は狂ひ候はじ今よりは更に狂はじ」
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★
樫本大進 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル
写真1を見る【演題】樫本大進 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル
【演目】バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト短調 BWV1001
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 ト短調 BWV1005
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 二短調 BWV1004
~ アンコール ~
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ短調 BWV1003より第三楽章 Andante
【演奏】<Vn>樫本大進
【会場】狛江エコルマホール
【開演】19時~
【料金】4000円
【感想】
今日は樫本大進さんが狛江エコルマホールで無伴奏ヴァイオリンリサイタルを開催するというので聴きに行くことにしました。28日にサントリーホールでも公演があるそうなので、あまり予断を与えないようにごく簡単な感想に留めておきたいと思います。
先ず、一曲目ですが、アダージョではゆっくりとした足取りでじっくりと弾き込んで行く厳粛な雰囲気の演奏が展開されました。豊かな重音の響きが広陵として深遠な空間的な拡がりを生む味わい深い演奏で、時折、痛烈に刻まれる不協和音がアクセントとなって音楽を引き締めていました。音楽の呼吸と言うのか、とても間の使い方が上手いです。フーガでは掘りの深い演奏で各声部の存在感がはっきりと打ち出され、強弱を効果的に使いながら遠近感、立体感のある見事な彫刻のフーガが展開されました。やや速めのテンポで活力のある演奏が展開されていましたが、移弦の際に弓を弦に引っ掛けるようなノイズが発生していたのが多少気になりました。そもそもヴァイオリン1挺でフーガを演奏すること自体に相当な無理があるので、ある程度は仕方がありませんが。シチリアーノでは穏やかで牧歌的な雰囲気が漂うどこかチャーミングな魅力を感じさせる演奏に惹かれました。プレストでは力強い足取りによる推進力のある演奏が展開され、快速調のテンポで間断なく紡がれる一筆書きの演奏には爽快感がありました。それでいてせっかちな印象はなく、樫本大進さんならではの繊細なニュアンスも随所に感じられ、気配りの行き届いたきめ細やかで瑞々しい演奏を楽しめました。
次に、二曲目ですが、アダージョでは重みのあるテンポで次第に声部を増しながらより高みへと昇り詰めて行く高揚感のある演奏が展開されました。フーガでは力強くリズムを刻みながら歯切れの良い演奏が展開され、鮮やかな弓捌きにより各声部が緊密に呼応する立体的で奥行きのある演奏を楽しめました。会場に澄み渡る清澄な弦の響きも印象的。ラルゴでは穏やかに流れるバスラインの上で叙情豊かに歌われる上声部が胸を打つ好演でした。アレグロアッサイではかなり速いテンポで疾駆する軽快な演奏が展開され、サクサクと小気味良い音運びで華やかな演奏を楽しめました。トゲトゲしさはなく螺旋状の滑り台をスルスルと滑り落ちて行くような滑らかで洗練された演奏に好感し、やはりここでも繊細なニュアンスに富む演奏が音楽に豊かな表現を生んで飽きさせません。
最後に、三曲目ですが、アルマンドではしなやかなボーイングで淀みなく流れる演奏が展開され、インパクトのある重音がスパイスとなって演奏を引き締めていました。クーラントでは間合いの良い呼吸で運ばれる弾むようなリズムと流麗な旋律によって華麗なステップを踏んでいるような洗練された演奏が心地良く感じられましたし、サラバンドでは豊かに響く重音が荘厳な雰囲気を醸し出していました。一応、無伴奏ソナタは教会ソナタ、無伴奏パルティータは舞曲(組曲)という違いはありますが、この楽章などは舞曲的な性格が希釈化、抽象化していると言えるかもしれません。ジークでは華やかさとは異なりますが柔軟で軽快なステップが心地良く、ここでも強弱を上手く使った表現豊かな演奏に惹かれました。シャコンヌでは明確に打ち出される不変のバスラインがどっしりとした音楽の土台を築き上げ、そのうえを上声部がやや速めのテンポで高らかと歌い上げて行く力強い生命力のある演奏が展開されていました。その一方で、細部まで瑞々しく聴かせる繊細なニュアンスのある表現は樫本さんならではのものです。此方から聴こえていた音が次の瞬間には彼方から聴こえる空間的な広がりのある演奏が実に魅力的に感じられました。樫本大進さん30代のシャコンヌでしたが、40代、50代にどんなシャコンヌを聴かせてくれるのか楽しみです。
現在、感想を執筆中。
評価:★★★★★
歌舞伎座さよなら公演 二月大歌舞伎(昼の部)
写真1を見る写真2を見る写真3を見る【演題】十七代目中村勘三郎二十三回忌追善
歌舞伎座さよなら公演
二月大歌舞伎(昼の部)
【演目】爪王 長唄獅子連中
<狐>中村勘太郎
<鷹>中村七之助
<床屋>中村錦之助
<鷹匠>坂東彌十郎 ほか
俊寛 平家女護局 一幕
<俊寛僧都>中村勘三郎
<丹羽少将成経>中村勘太郎
<海女千鳥>中村七之助
<平判官康頼>中村扇雀
<瀬尾太郎兼康>市川左團次
<丹左衛門尉基康>中村梅玉 ほか
口上 十七代目中村勘三郎 二十三回忌追善
中村芝翫
中村勘三郎 ほか
ぢいさんばあさん 三幕
<美濃部伊織>片岡仁左衛門
<下嶋甚右衛門>中村勘三郎
<伊織妻るん>坂東玉三郎
<宮重久弥>中村橋之助
<久弥妻きく>片岡孝太郎 ほか
【会場】歌舞伎座
【開演】11時
【料金】6000円
【感想】
今日は先代中村勘三郎さんの二十三回忌追善公演を観に行くことにしました。途中の口上では、中村芝翫さんを筆頭に当代中村勘三郎さんほか中村家の役者達に加えて、片岡家、坂東家、市川家の役者達が一同に会し、先代を偲んで思い出話が披瀝されました。先代の思い出話を聞いていると、家名は違えど歌舞伎界は1つのファミリーのようなものであることが窺えます。
先ず、爪王ですが、鷹匠と鷹が村で悪さを働く狐を退治するという物語りですが、何と言っても中村七之助さん扮する鷹と中村勘太郎さん扮する狐の対決を舞いで表現したシーンが見所でした。この対決シーンが2度登場し、1度目は鷹が狐の返り討ちに合い、2度目は鷹が狐を懲らしめるというものですが、2人の息の合った隙なく絡み合う舞いが出色で、緊迫感のある凄まじさと優美なしなやかさとが同居し、迫力と美しさを兼ね備えた見事な舞いに魅了されました。狐の俊敏で跳躍感のある舞いと鷹の悠々とした気品のある舞いと、各々のキャラクターが舞いの中でよく表現されていたと思います。
次に、俊寛ですが、平家転覆のクーデターを企てた罪で絶海の孤島に配流になっていた中村勘三郎さん扮する俊寛、中村勘太郎さん扮する成経らのもとに待ち侘びた赦免船が到着しますが、島で結ばれた成経の女房、中村七之助さん扮する千鳥の乗船が許されず、俊寛が身代わりとなって千鳥を赦免船に乗船させ、俊寛は一人島に取り残されるという物語りです。俊寛の孤島暮しの侘しさの漂う演技、千鳥の乙女の恥じらいのある演技が素晴らしく、成経と千鳥の結婚を祝う宴で俊寛が舞を舞いますが、目出度い席での晴れがましい気持ちと華やかな京の生活が偲ばれてやるせない気持ちとが入り混じった複雑な心情がよく表出された中村勘三郎さんの好演が印象的でした。そして、夢にまで見た赦免船が見えたときの俊寛の歓喜振りや赦免状に俊寛の名前が見付けられなかったときの落胆振りがクライマックスへの伏線となっていよいよ一人島に残される俊寛の寂寥感を際立たせるドラマチックな効果を生み、いつまでも赦免船を見送る中村勘太郎さんのじみじみとした名演技によって何とも余韻のある味わい深い舞台になっていました。また、市川左團次さん扮する瀬尾太郎兼康の非情さと中村梅玉さん扮する丹左衛門尉基康の人情味とが対照的に演じられ、ドラマの良いスパイスになっていたと思います。
最後に、ぢいさんばあさんですが、片岡仁左衛門さん扮する伊織と坂東玉三郎さん扮するるんは仲睦まじい若夫婦でしたが、ひょんなことから伊織が中村勘三郎さん扮する同僚の下嶋を斬ってしまい離れ離れに生活することになりました。それから37年後に伊織は罪を許されてるんと再開を果し、37年前と変わらず仲睦まじく余生を送るという心温まる物語です。若夫婦の初々しさのようなものが漂う演技と、37年後の老夫婦の各々の人生の年輪を感じさせる味のある演技との演じ分けが見事でした。片岡仁左衛門さんの茶目っ気たっぷりのチャーミングな演技が実に魅力的で、庭から縁側へとあがるちょっとした仕草に老人らしさが滲み出ていて(「演じる」というより「滲み出る」という表現がぴったり)感心しました。仁左衛門さんがヤクザの親分など二枚目役を演じたときに醸し出す男の色気も堪りませんが、こういう可愛らしい役柄を演じさせても天下一品ですな。庭に植えられた桜の木の成長振りが37年の歳月の重みを感じさえる効果を生んでいましたが、その一方で、のどかに響く琴の音が37年の歳月を経ても変わらぬもの(伊織とるんの夫婦仲のような)があることを感じさせ、この心温まる舞台に会場のご婦人方からはすすり泣きの声が漏れていました。涙腺の弱い僕もちょっとウルウル(;_;) るんのような年をとっても慎ましやかで可愛らしい伴侶と巡り合えるならば結婚も悪くないかなとも思いますが、身の回りの様々なおぞましい実例を見るにつけて結婚生活とは人生の荒行だなと感じさせられることしきりです。
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★
新日本フィルハーモニー交響楽団
写真1を見る【演題】新クラシックへの扉第4回
【演目】ラロ スペイン協奏曲 作品21
<Vn>郷古廉(高校1年生)
サン=サーンス 交響曲第3番 作品78「オルガン付き」
【指揮】井上道義
【楽団】新日本フィルハーモニー交響楽団
【会場】すみだトリフォニーホール
【開演】14時~
【料金】4500円
【感想】
ここのところ新日フィルの演奏会が続いていますが、今日も新日フィルの演奏会に行ってきました。終演後、井上道義さんが設立当時の新日フィルは金がなく国鉄(現JR)の車両工場などで練習していたことがあったなど昔語りをしていましたが、現在の押しも押されもしない不動の地位を築くまでには涙ぐましい努力があったということですな。なお、ラロはスペイン交響曲(その実質はヴァイオリン協奏曲第2番)の他にもヴァイオリン協奏曲(第1番)、ノルウェー幻想曲、ロシア協奏曲の3曲のヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲を残しており、いずれも劣らぬ非常に魅力的な作品なのですが、何故かラロと言えばスペイン交響曲しか採り上げられません。他の曲の実演も聴いてみたいのですが、アマオケでも良いので採り上げてくれるところはないかしら。
先ず、一曲目ですが、第一楽章ではかなり大胆なアゴーギクで思い入れたっぷりに歌い込んで行く表現意欲が旺盛な演奏が展開されました。これだけ強気に攻めているのに破綻がないテクニックの厚みは大したものです。その一方、力尽くで曲を捻じ伏せている演奏とも異なり、デュナーミクを巧みに操りながら音楽に繊細な起伏のある表情を生んでいく表現力も感じられ、とても懐の大きさを感じさせる若き俊英です。やや若さゆえの気負いのようなものが感じられるところはありましたが、井上さんはそういうフレッシュな感性を大切にしていることが伺えるサポートで好感しました。第二楽章ではオーケストラが刻むリズムに乗って軽快で気品のあるステップを踏んでいるような生き生きと活力に満ちた演奏が展開されました。テクニック一辺倒の小手先の演奏ではなく豊かな感性も感じられる知情意のバランスの取れた演奏に感心しましたし、第三楽章では深い音色で情緒纏綿と情熱的に歌い上げて行く訴求力ある演奏が聴けました。第四楽章では紛々たる哀愁を撒き散らす演奏が出色で、その傑出した表現力に非凡な才能が感じられました。1音1音の処理にも神経の行き届き、細かいニュアンスのある演奏が聴かれました。時折、若々しい気負いのようなものは感じられましたが、気侭で奔放な歌い口は魅力的でした。第五楽章では切れ味鋭い弓捌きで冴え映えとした演奏が展開されましたが、決してギスギスとしたところはなく軽妙洒落た雰囲気を漂わせるセンスの良さも感じられ、コーダはオーケストラと一体となってクライマックスへのぼりつめて行く力感のある演奏に魅了されました。行く末が楽しみな逸材です。なお、今日も井上さんのダンス振りが視覚的に楽しませてくれました(笑)(使用楽器=1682年製ストラディバリウス"Banat")
次に、二曲目ですが、第一部前半は井上さんの明晰な棒によって各声部の呼応関係が明確となり、この曲のコンテクストが把握し易い整理された演奏が聴けました。冒頭の清澄な弦と柔らかいオーボエが抒情を香り立たせ、色彩豊かな木管と重厚な金管が音楽に豊かな表情を与える好演でした。第一部後半は新日フィルが誇る清澄な弦セクションと厳かなオルガンが織り成す清楚で温もりのある響きによる静謐な祈りが込められた演奏が出色で心が洗われました。第二部前半では(井上さんのことですから)リズムを躍動させてラテン系のノリの良い演奏を展開するのかと思いきや、意外とズッシリと落ち着いた音運びで聴き応えのある演奏になっていました。フルートをはじめとして小気味良い管楽器が演奏に彩りを添えていましたが、今ひとつピアノの響きが1階後方席まで飛んできていなかったので、もう少しピアノの音量が欲しかったところです。第二部後半では荘厳なオルガンの響きに乗って彫りが深いエッジの効いた弦と風格のある咆哮の金管による格調高いシンフォニックな演奏に圧倒されました。とりわけティンパニーが力強いリズムでクライマックスへと達する絢爛たるコーダに感電死しました。僕が座っていたのが1階席の最後列だったからなのかもしれませんが、やはりもう少しピアノの音量が欲しかったです。
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★
オーケストラ フィルハーモニカー
写真1を見る【演題】オーケストラ フィルハーモニカー 中野特別演奏会
【演目】モーツァルト 歌劇「魔笛」より序曲 KV620
シューベルト 交響曲第7番(8番)ロ短調 D759
サン=サーンス 序奏とロンド、カプリオーソ 作品28
ヴィエニャフスキ ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ短調 作品22
<Vn>木野雅之(日本フィルハーモニー交響楽団ソロコンサートマスター)
【楽団】オーケストラ フィルハーモニカー
【会場】なかのZERO 小ホール
【開演】14時
【料金】1000円
【感想】
今日はヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第2番が採り上げられるというので聴きに行くことにしました。ヴィエニャフスキ自身も名ヴァイオリニストであっただけあって、ヴァイオリン音楽の美質を尽くし、ヴルトゥオジーな見せ場にも事欠かない大変に魅力的な作品でソロパートだけではなくオーケストラパートの筆致も行き届いたとてもバランスの良い名曲なのですが、何故か演奏会で採り上げられる機会は多くありません。なお、なかのZEROの小ホールには初めて入りましたが、お世辞にも演奏会向きとは言えないデットなホールで開演前の下品なブザー音に耳を潰されてしまいます。さて、アマオケと言ってもそのレベルは様々であり、どのレベルを基準にして感想を書くのかによって酷評でも好評でも書けてしまいそうな演奏だったので、正直、感想を書き難いのですが、ごく簡単に感想を残しておきましょう。
先ず、一曲目ですが、木野さんの弾き振りで序奏はスローテンポの手堅い開始でしたが、序奏から第一主題への移行でアンサンブルが千路に乱れてしまったのは演奏の印象を芳しくないものにしていました。その後、アンサンブルは持ち直し、縦線が揃って音程も安定し、リズムの活力とまでは行きませんが音楽が停滞することなく流れ、木管の彩りも楽しめる演奏であったと思います。
次に、二曲目ですが、一曲目同様にスローテンポによる堅実な音運びで、縦線や音程が乱れることなく安定感がある演奏を聴けました。終始、安全運転に徹している印象でしたが、(もちろんハメハズシの連続のような演奏では困りますが)もう少し燃焼度の高い踏み込んだ演奏を聴いてみたかったような気がします。多少のミスは恐れずにこの1回の本番に賭けた一球入魂の演奏、それがプロオケにはないアマオケの醍醐味ですし、アマチュアの特権だと思いますので..。シューベルトの未完成は第三楽章のスケッチが残されており、これを演奏可能なように補筆した版の音盤がリリースされていますが、非常に魅力的なスケルツォが構想されていたことが分かります。よく未完成は第二楽章で完成しているというおセンチなことを言う人がいますが、これを聴いてしまうと未完成は第二楽章で完成しているなどとは言えなくなります。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000004500/seedsonwhites-22/ref=nosim↑上記の補筆した第三楽章と未完に終わった交響曲断片(D.936A)を組み合わせて「交響曲第10番」としてリリースしたこんな音盤まで出ています。もう何でもアリですな(笑)
最後に、四曲目ですが、第一楽章はやや歌心に物足りなさを感じる淡白な印象の演奏で、もう少し抒情的に歌わせて欲しかったところもありました。また、デットなホールも災いしてかソロパートが剥き出しになり過ぎている印象のところもあり、もう少しオーケストラには深々とした抒情を香り立たせて欲しかったという憾みがあります。これに続く第二楽章は木野さんが澄んだ音色で繊細に歌い上げるリリシズムに魅了されました。オーケストラも柔らかい響きでソリストに寄り添ってしっかりとサポートできていたと思います。第三楽章は木野さんが快速調の演奏で技巧的なパートも一気に畳み掛けてしまうヴィルトゥオジーを発揮していました。ややスタッカートの肌理が荒くなっていたところや、もう少しオーケストラが機敏に呼応してくれていればというところはありましたが、アマオケにしては期待以上のパフォーマンスであったと思います。アンコールで演奏されたクライスラーの前奏曲とアレグロ(オーケストラ版)は木野さんの浸透力のある真っ直ぐと伸びる音色とメリハリのあるフレージングによる好演を楽しめました。なお、どうも技巧曲が好きになれないので、サンサーンスの序奏とロンド、カプリオーソとロドリゲスのパルティータの感想は割愛します。料理人が料理の味ではなく包丁捌きを自慢しているように聴こえて気に入りません。
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★
新日本フィルハーモニー交響楽団
写真1を見る写真2を見る写真3を見る【演題】第458回定期演奏会
【演目】プロコフィエフ 交響曲第1番 ニ長調 作品25「古典交響曲」
ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 作品19
<Vn>イェウン・チェ
ドヴォルザーク 交響曲第6番 ニ長調 作品60
【指揮】ヒュー・ウルフ
【楽団】新日本フィルハーモニー交響楽団
【会場】サントリーホール
【開演】14時
【料金】5500円
【感想】
今日は新日フィルがドボ6を採り上げるというので聴きに行くことにしました。ドボ7~9は頻繁に(とりわけドボ9はウンザリするほど)演奏会で採り上げられますが、ドボ6となるとその作品の魅力にも拘らずグンと演奏頻度は減って滅多に演奏会で採り上げられることはありません。それにしても新日フィルの演奏会は演目にひと捻りあるものが多く(決して奇を衒っているという訳ではなく)、いつもその心憎い選曲に感心してしまいますが誰が演奏会の企画をしているのかしら?なお、サントリーホールの近隣に2,000円/10時間という格安の駐車場を見付けてしまいました。少し早く行ってスタバで本を読みながらゆったりとした気分で開演を待ちたい人なので、これでアークヒルズ地下駐車場のバカ高い駐車料金を気にすることなく寛げます。サントリーホールに行ったときには必ず食すことにしている八十八楽(赤坂アークヒルズ店)の生姜焼き膳の写真もアップしておきましょう。八十八楽(赤坂アークヒルズ店)は、二日酔いの日にも胃に凭れることのないオヤジ好みのあっさりとした薄味です。お試しあれ。
先ず、一曲目ですが、第一楽章では軽快なテンポでキビキビと小気味良い演奏(しかし響きは硬くならずソフト)が展開されました。各パートが軽妙に呼応し、木管がユーモラスに彩りを添える表情豊かな演奏を楽しめました。偶に鈍重な演奏を耳にすることもありますが、こういう軽快な演奏でなくてはプロコのウィットが活きてきません。第二楽章は清澄な弦や牧歌的なファゴットの音色が耳を惹き、ほのぼのとした和み系の演奏にホクホクとしてしまいました(u_u*)同根同祖の日フィルは田舎風の土臭い重厚なサウンドが特徴なのに対し、新日フィルは都会風のソティスフィケートされた清澄なサウンドが特徴ではないかと思います。どちらが良いというものではなく、兄弟それぞれの個性があります。第三楽章はチャーミングなガボット風の曲想ですが、ウルフさんのスマートな棒に掛かるとこれにエレガントさが加わってコミカルな語り口の中にも気品のようなものが感じられる上品な演奏を楽しめました。第四楽章は鋭いアタックとリズムの躍動による快活な演奏が聴かれ、優秀なフルート・セクションがスパイスとなって演奏全体を引き締める効果を生んでいたと思います。
次に、二曲目ですが、第一楽章冒頭からチェさんが儚く幻想的な音色を紡ぎ出し、オーケストラが印象派風の色彩感のある柔らかい伴奏で応え、その繊細で甘美な演奏に魅せられました。チェさんが冴え栄えとした弓捌きで料理した第二主題も聴き物でした。第二楽章ではチェさんが技巧的なパートも浮き足立つことなく、理知的で切れ味鋭い当世風の演奏を展開しました。個人的にはもう少しデモーニッシュな雰囲気を醸し出して欲しかったと思いますが、饒舌で歯切れの良い明晰な演奏は耳に心地良く感じられました。第三楽章では艶やかな音色で抒情的に歌うヴァイオリンの調べについついウトウト…(*^-^*) 柔らかく甘美な音色で歌い添う首席の古部賢一さんのオーボエが出色でした。アンコールでバッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番よりサラバンドが演奏されましたが、弱音の深遠な響きにヤラレマシタ。このお嬢さん、何やら非凡なものを感じさせます。
最後に、三曲目ですが、第一楽章は中庸なテンポで柔らかい響きによる洗練された演奏に纏められていましたが、個人的にはややあっさりしている印象でもう少し艶っぽく民族色を香らせて欲しかったような気もします。この辺は好みが分かれるところかもしれませんが…。第二楽章はウルフさんの洗練された棒が覿面し、冒頭から木管の和音が柔らかく広がり、甘美に歌い香るオーボエと柔和に寄り添うホルンとファゴットによるメランコリックな演奏に酔い痴れました。自然な呼吸で運ばれる無理のない演奏がこの曲の美観を際立たせていましたし、新日フィルが誇る高弦の清澄な響きと深々とした哀愁を漂わせる中低弦の艶やかな響きのコントラストが演奏に豊かな表情を生んでいました。なお、ホルンの柔らかく包容力のある音色と純度の高いハーモニーが出色でした。第三楽章は速いテンポでリズムを生き生きと弾ませる華やいだ雰囲気の快活な演奏が展開されました。第四楽章も速めのテンポがキープされ、アグレッシブに演奏が展開されましたが、新日フィルは精緻なアンサンブルで機敏に反応する集中力の高い演奏で楽しませてくれました。多少前ノメリな印象のところはありましたが、硬軟織り交ぜた響きで緊張と弛緩を繰り返しクライマックスへ向けて徐々に高揚して行く構築感のある演奏が展開され、コーダで一気に加速してそのままフィナーレまで上り詰めて行く快演となりました。
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★
横浜能楽堂企画公演「英雄伝説 義経」 第五回「屋島に消えた継信の母との出会い」
写真1を見る写真2を見る【演題】横浜能楽堂企画公演「英雄伝説 義経」
第五回「屋島に消えた継信の母との出会い」
【番組】琵琶・語り(『義経記』巻第八より)
<筑前琵琶>上原まり
能「摂待」
<シテ/佐藤兄弟の母>香川靖嗣
<子方/鶴若>友枝雄太郎
<ワキ/弁慶>福王茂十郎
<ツレ/源義経>佐々木多門
<ツレ/兼房>佐々木宗生
<ツレ/鷲尾>中村邦生
<ツレ/義経の郎党>友枝雄人
<ツレ/義経の郎党>粟谷充雄
<ツレ/義経の郎党>粟谷浩之
<ツレ/義経の郎党>大島輝久
<ツレ/義経の郎党>塩津圭介
<ツレ/義経の郎党>高林呻二
<ツレ/男>井上真也
<後見>高林白牛口二、内田安信、塩津哲生
<大鼓>柿原崇志
<小鼓>大蔵源次郎
<笛>一噌仙幸
<地謡>内田成信、長嶋茂、粟谷明生、狩野了一
大村定、粟谷能夫、友枝昭世、出雲康雅
【解説】三宅晶子(横浜国立大学教授)
【場所】横浜能楽堂 14時~
【料金】5000円
【感想】
今日は横浜能楽堂の企画公演「英雄伝説 義経」の第五回を観に行きました。横浜能楽堂には2階席があり(写真は2階席から撮影)、とても気に入っています。本来、能は下から舞台を見上げて観るものだと思いますが、どうもオペラやバレエを観るときの癖なのか上から舞台を見下げて観た方が舞台全体を俯瞰できて好きなのです。
先ず、三宅さんから能「摂待」について解説がありました。能「摂待」は優美な舞や香気ある詞章などはなく非常に地味な曲ですが、セリフ劇としての魅力に溢れる作品だという趣旨の解説が行われました。滅多に上演される機会がない曲だそうで喜多流では15年振りの上演となるそうですが、レギュラーレパートリーに加えられてもおかしくない観応えのある曲だと思います。
次に、上原さんが「義経記」第巻八の一部を弾き語られましたが、繊細に紡がれる筑前琵琶の優美な調べが仄かな叙情を香らせて、しみじみとした情緒的な語りに聴き入りました。佐藤継信が絶命する様子を語る場面では琵琶は鳴りを潜めて語りだけで聴かせる厳粛な雰囲気が却って悲劇性を増す劇的な効果を生んでいたと思います。
次に、能「摂待」ですが、シテ方の香川香嗣さんの老尼役が名演技でした。そのセリフ回しやハコビ、物腰など全身から醸し出されるオーラは老尼を演じているというより老尼そのもの風情があって、その存在感がこの舞台のクォリティを決定的なものにしていました。この曲は舞いや激しい動きなどがなく外面的な華やかさがない一方で、我が子の死を痛む老尼の哀感が満ち満ちる舞台は強く心を捉えるものがあり、それだけにこの舞台の正否はシテの演技力に負うところ大だと思います。一声の後のサシが出色でして、複雑な節回しなどがなく下手なシテだと間延びしてしまいそうなところですが、シテの香川さんの弱々しく搾り出されるような絶妙な間合いのセリフ回しには老尼の複雑なパトスが入り混じり、時折、子方を見やるその所作が哀しみを一層と深いものにしていました。う~ん、素晴らしい!シテの想いが地謡へと謡い継がれていよいよ感極まった観客からすすり泣きの声が漏れるほどで、普通の能とは一味違った現代劇的な面白さがありました。シテが山伏一行の名前を言い当てるところでは、様々に考えを巡らし、確信を強めて行く様子を克明に表現した香川さんのセリフ回しが素晴らしく、弁慶が佐藤継信の最後を語り聞かせた後に続く次の場面はしみじみと情味溢れるもので見所となっていました。
シテ「さて其時に弟の忠信は候はざりけるか」
ワキ「あら愚や忠信は 日の下に於て隠れましまさず 能登殿の童菊王丸 継信が首を目懸け渚の方に走り渡るを 忠信彎いて放つ矢に 菊王が真中射通されかつぱと転べば 教経舟より飛んでおり 菊王がわだがみ掴んで 遥の船に投げ入れ給へば 程なく舟にて空しくなる 眼前兄の敵をば 弟の忠信こそ取つて候へ」
シテ「偖は敵も大将に 仕へ申しし御童」
ワキ「継信は又我が君の 秘蔵に思せし御内の人」
シテ「かれは平家の舟の内」
ワキ「此方は源氏の陸の陣」
シテ「かれも主従」
ワキ「これも主従」
シテ「思は同じ思なれば」
ワキ「余所の嘆を思ひ合はせて 御慰みも候へとよ」
シテ「それは仰までもさむらはず 御身がはりに立ち参らする上は 今後後世の面目なり さりながら一人なりとも御供申し 御笈をも肩に懸け この御座敷にあるならば」
地謡「十二人の山伏の 十三人も連なりて 唯今見ると思はゞいかゞは 嬉しかるべき」
最後は、シテが義経一行の同伴を願う子方を引き留め、子方に手をかけて静々と引き上げて行きますが、その後姿が余韻を引くもので最後まで充実した舞台を楽しめました。なお、燻し銀の囃子方は枯淡の味わいがあるもので、曲趣にマッチした囃しが素晴らしかったですし、また、子方は出番が多く難しい役所であったと思いますが、(まだ小・中学生くらいでしょうか)これも立派に勤めあげていました。
シテ「老尼は鶴若を抱きいれ」
地謡「行くは慰む方もあり とまるや涙なるらん とまるや涙なるらん」
詳しい感想は後ほど。
評価:★★★★★
新日本フィルハーモニー交響楽団
写真1を見る写真2を見る【演題】第457回定期演奏会
【演目】モーツァルト 交響曲第39番 変ホ長調 K.543
シューマン(ショスタコーヴィチ編曲) チェロ協奏曲 イ短調 作品129
<Vc>タチアナ・ヴァシリエヴァ
ショスタコーヴィチ 交響詩「十月革命」作品131
【指揮】ヒュー・ウルフ
【楽団】新日本フィルハーモニー交響楽団
【会場】すみだトリフォニーホール
【開演】14時
【料金】4500円
【感想】
今日はシューマンの記念年に因んで新日フィルで面白そうな演奏会が開催されるというので聴きに行くことにしました。新日フィルは演目建てが良く練られていて魅力的なものが多いので食指が動きます。なお、写真2枚目はすみだトリフォニーホールから眺めた建設中の東京スカイツリーです。現在、約半分の地上300m程度まで完成しているようですが、これで東京のどこにいても向島の方角が正確に把握できます(個人的にはあまり把握する必要はないのですけれど..笑)。そうそう完成すると言えば、中央環状線山手トンネルが来月末に開通しますが、唯でさえ渋滞の温床になっている首都高三号線の池尻IC付近が更に大渋滞になってしまうのかと思うと憂鬱です。確かに池袋へのアクセスは楽になりますが、それによって受ける恩恵よりも、それによって被る被害の方が遥かに甚大です(涙)
先ず、モーツァルトですが、僕は重度のモーツァルト・アレルギ-(モツアル)なので(但し、ピアコン、オペラとその他晩年の傑作群を除く)感想は割愛します。偶に「なぜなの?」というメールを頂きますが、ニンジンが嫌い人にその理由を尋ねるようなもので自分でもはっきりと理由は分かりません。男女の仲も一緒ですが、自分ではっきりと理由が分かるうちは本当の意味で好きにも嫌いにもなっていないということで、その点で重度のモツアルなのです。そのうえで、モーツァルトの演奏で定評のあるウルフさんのクセやリキミのないの素直なアプローチと、新日フィルの清澄なサウンドと精緻なアンサンブルによって、すっきりと整理された爽やかな演奏を楽しめました。内声部の響きがバランスよく充実していて、有機的なアンサンブルを楽しめました。クラリネット副主席の澤村康恵さんがグッドジョブ!b(^o^)
次に、シューマンですが、今日はチェロ協奏曲のショスタコーヴィチ編曲版が採り上げられるのと、タチアナ・ヴァシリエヴァさん(ロストロボーヴィチ国際チェロコンクールのロシア人初の優勝者と言えばピンとくるはず)の演奏を聴くのが眼目でした。このチェロ協奏曲はシューマン自身によってヴァイオリン協奏曲に編曲され、そのショスタコーヴィチ編曲版の音盤もリリースされていますが、こちらの版も気に入っているのでいつか生演奏を聴いてみたいです。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2759861http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005FI11/ref=ox_ya_oh_product第一楽章ではヴァシリエヴァさんが哀愁を帯びた音色で物憂げに語り出し、情緒纏綿と紡いで行くモノローグに惹き込まれました。とりわけ囁き掛けてくるような弱音のデリカシーは素晴らしかったです。オーケストラはソリストに着かず離れず寄り添って伴奏に徹している印象でしたが、オーケストラが歌うパートではショスタコが施した管弦楽的な色彩感が堪能できるメリハリのある演奏が展開されました。第二楽章ではヴァシリエヴァさんによってデリケートに紡がれるリリシズムが出色で夢見心地の気分に浸りました。ショスタコは原曲にないハープのパートを書き加えていますが、この楽章の抒情美を増す効果的なアレンジであると個人的には思います。首席の河村幹子さんの香り高いファゴットが出色でした。第三楽章ではヴァシリエヴァさんが技巧的に難しいパッセージでも持て余すことなくサクサク弾き進む信頼感で、オーケストラとの緊密なコンビネーションによる統制感のある演奏を楽しめました。ブラス隊(ホルン、トランペット)ほか管楽器が絢爛たる色彩感を添える好演でしたが、ショスタコが施したオーケストレーションが地味な曲想に豊かな表情を生んで音楽を引き締める効果を生んでいると思います。(使用楽器:1725年製ストラディバリウス”Vaslin”)
次に、ショスタコですが、十月革命と言えば数年前にサントリーホールで聴いた広上@日フィルによる血みどろの演奏を思い出します。そういうムセ返るような土臭い演奏を期待していましたが、ウルフさんの十月革命は音楽的に洗練されたスマートなもので(やや奇麗事で済まされている印象を否めませんでしたが)、隅々にまで配慮の行き届いた音響設計によりスコアの細部まで鮮明に浮かび上がってくるような見通しの良い演奏が展開されました。各パートのモチーフの受け渡しがスムーズで隙がなく、その洗練された演奏によってショスタコのオーケストレーションの鮮やかさや描写力を堪能できました。しかし、新日フィルは上手いオケですな。
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★
第18回のうのう能特別公演 観世&宝生 in 壇ノ浦
写真1を見る【演題】第18回のうのう能特別公演 観世&宝生 in 壇ノ浦
【番組】能「船弁慶 後之出留之伝」
<前シテ/静御前>辰巳満次郎
<後シテ/平知盛の霊>辰巳満次郎
<子方/源義経>石黒空
<ワキ/武蔵坊弁慶>殿田謙吉
<ワキツレ/従者>則久英志
<ワキツレ/従者>梅村昌功
<アイ/船頭>山本則重
<笛>一噌隆之
<小鼓>成田達志
<大鼓>亀井広忠
<太鼓>観世元伯
<地謡>澤田宏司、辰巳孝弥、和久荘太郎
水上優、宝生英和(地頭)、渡邊茂人
<後見>野月聡(主後見)、藪克徳
能「碇潜 船出之習」
<前シテ/船の主>観世喜正
<後シテ/平知盛の霊>観世喜正
<子方/安徳天皇>奥川恒成
<後ツレ/二位尼>遠藤喜久
<後ツレ/大納言局>鈴木啓吾
<ワキ/都方の僧>殿田謙吉
<アイ/所の者>山本則秀
<笛>一噌隆之
<小鼓>成田達志
<大鼓>亀井広忠
<太鼓>観世元伯
<地謡>桑田貴志、小島英明、佐久間二郎
古川充、味方玄(地頭)、遠藤和久
<後見>古川恒治、観世喜之(主後見)、長沼範夫
【会場】国立能楽堂
【開演】13時
【料金】5000円
【感想】
今日は「のうのう能」を観に行きました。世界で一番わかりやすい能公演を目指すというコンセプトのもと、公演前のレクチャーに力を入れている公演です。「のうのう」とは能で使われる呼び掛けの言葉ですが、これに能を知るという意味の「KNOW」を掛けて「のうのう能」とネーミングされたようです。
http://www.kanze.com/yoshimasa/know-noh-noh.html先ず、京大の中村健史さんから「船弁慶」と「碇潜」の背景となっている壇ノ浦の戦いとそれぞれの作品の見所について解説が行われました。まるで落語でも聞いているような流暢な弁舌に自然と話に惹き込まれてしまいます。京大の授業でもこんな感じなのかしら。また、今日は宝生流と観世流で同じ詞章の謡を聴き比べましたが、宝生流シテ方の辰巳満次郎さんは宝生の謡はカクカクとしているのが特徴と仰っていましたが、確かに独特の節回しが印象的でそれが詞章に繊細な表情を生んで情緒的に聴こえてきます。京大の中村健史さんは観世の謡は滑らかで丸みがあるのが特徴と仰っていましたが、確かに癖がなく洗練された謡が印象的でそのストレートで流麗な謡には気品が感じられます。
次に、能「船弁慶」ですが、前シテ(静御前)の辰巳満次郎さんの艶っぽい節回しによる叙情的な謡と気品のある舞に魅せられましたが、途中、前シテの頭から烏帽子が落ちてしまうというハプニング(もともと前シテの頭から烏帽子が落ちるという演出はありますが、それとは別の場面)があり、やや興が醒めてしまったのは勿体なかったです。まあこれは仕方がないことではありますが..。前シテが揚げ幕へ引き上げるときの一噌隆之さんの情緒纏綿とした笛が出色でした。幕間では前場とは舞台の雰囲気が一転し、囃子方が気魄の篭もった囃しで荒波を激しく表現すると共に、アイ(船頭)の山本則重さんが荒波に揉まれる小船を緊迫感のある熱演で見事に表現し、まるで舞台が波立っているような迫力に息を呑みました。ここで揚げ幕を半分だけ引き上げて波間から後シテ(平知盛の霊)が姿を現す様を表現した演出が面白く、後シテの声が鏡の間に反響してまるで海底から木霊してくるような劇的な効果を生んでいました。後シテの妄念の篭もった謡が印象的で、前シテと後シテは別人ではないかと思われるくらいシテの謡の印象がガラリと変わりました。この辺はシテの腕の見せ所と言えましょうか。前場とは一転、大きく勇壮なシテの舞が迫力で、シテの舞や地謡と息の合った一体感のある囃しが舞台を充実したものにしていました。一噌さんの優美な笛に加えて、NKKコンビ(小鼓の成田達志さん、大鼓の亀井広忠さん、太鼓の観世元伯さん)のリズム感と響き(気魄の掛け声や楽器の音色)が素晴らしいですな。なお、子方の感想は書かない方針にしていますが、本日の子方は好演であったことを付記しておきましょう。
次に、能「碇潜」ですが、前場のさびさびとした情趣が魅力的で、冒頭の詞章(ワキ「雲をしるべのよそに見て 雲をしるべのよそに見て 月のゆくへを尋ねん」)に想像力を掻き立てられ、風趣に富んだ情景が眼前に広がって行きました。ワキ(都方の僧)の殿田謙吉さんは能「船弁慶」での武蔵坊弁慶役の剛毅木訥とした雰囲気とは一転、都方の僧役では閑雅な雰囲気を醸し出す演技で、その見事な演じ分けを楽しめました。前シテ(船の主)の観世喜正さんと都方の僧の船賃(せんちん)問答が面白く、都方の僧が前シテの前に屈むことで船が海流に乗って進んで行く様子が表現されましたが、こういう簡素で洗練された演出に感心してしまいます。前シテが着座して身振り手振りを交えながら壇ノ浦の戦いの様子を謡い語るところでは、喜正さんの凛とした気品のある佇まい(所作や謡を含む)が唯の船の主ではないことを感じさせる名演技であったと思います。前シテが揚げ幕へと引き上げるときの一噌隆之さんの叙情的な笛が彼岸への道行きの調べのように聴こえて白眉でした。この能は前場は良いのですが、どうも後場は好きになれません。後場は平知盛の霊、二位尼、大納言局、安徳天皇が屋形船の作り物と一緒に登場して地謡と共に平家の最後を謡い語りますが、やや物語展開に脈絡がなく冗長な印象がしてしまいます。(前場と後場は同一の作者なのでしょうか?)最後に大きな碇の作り物が出てきますが、こういう中途半端にリアルな演出は却って興醒めしてしまいますので、個人的な好みを言えば、碇の作り物は必要なかったのではないかという気もします。後シテの勇壮な舞と囃子方のビート感は流石でした。
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★
MANSAI@解体新書 その拾六 「依代(よりしろ)」 ~宿りというポイエーシス(創造)~
写真1を見る写真2を見る写真3を見る【講題】MANSAI@解体新書 その拾六 「依代(よりしろ)」 ~宿りというポイエーシス(創造)~
【講師】野村萬斎(和泉流狂言師)
杉本博司(現代美術作家)
中沢新一(思想家・人類学者)
【会場】世田谷パブリックシアター
【開演】19時
【料金】3000円
【感想】
世田谷パブリックシアターの芸術監督である野村萬斎さんが企画・プロデュースする「MANSAI@解体新書」にて興味深いテーマ(依代)が採り上げられるというので聞きに行くことにしました。当日券だったので立見券(3,000円)になってしまいましたが、座席券(3,500円)と500円差しかないのは料金設定のバランスが悪いのでは..。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2706293前半では「依代」を考えるための素材として、式三番(翁)より三番叟の段(揉之段と鈴之舞)が演じられました。まだ式三番(翁)は2~3度しか観たことがなくこれだけ真近で観るのは初めてでしたが、三番叟の段がこれほど気迫の籠もった舞だったとは知りませんでした。萬斎さんは僕と同世代(僕よりも年上)ですが、これだけ激しい動きをしても息が上がらず舞が荒れない身体能力の高さに感心してしまいます。揉之段は直面で膝を高く上げるハコビと跳躍的な動作が多い激しいものですが、鈴之舞は黒式尉面をかけて摺り足のハコビが多く独特な所作が目立つ面白いものです。1月3日のブログにも書きましたが、とにかく翁は独特の所作が多く観れば観るほど謎が深まるばかりで、例えば、鈴之舞では三番叟が右前方に屈んで地面に向けて鈴を振りながら顔だけを左上方に振り向けて扇で顔を隠すという独特のポーズをとりますが、このポーズにどんな沿革や云われがあるのかなどなど興味尽きせぬものがあります。式三番(翁)のDVDはリリースされていないのかしら?
後半ではゲストを交えて「依代」をテーマとした対談となりました。中沢新一さんは翁についてかなり明確なイメージを持っておられ(詳しくは中沢さんの著書「精霊の王」(講談社)を読みましょう!)、大変に面白い話が聞けました。テーマから離れて色々と話が脱線していましたが、テーマに関連する部分(のうち、能楽とつながりがある部分)の概要をごく簡単に書き残しておきたいと思います。1月3日のブログで「三番叟が鈴を振りながら地面を踏み鳴らすのはどのような意味や沿革があるのか」と素朴な疑問を書きましたが、丁度、この部分に言及されていたので忘れないうちに書き残しておきますと、萬斎さんによれば、三番叟が鈴を振り(即ち、種を蒔き)ながら、地面を踏み鳴らす(即ち、種を蒔いた後に地面を踏み固める)のは五穀豊穣を祈るという意味合いがあると解説されていました。さらに、中沢さんがより根源的な意味合いについて付言され、土地には悪い霊が住み着いて沸き立っている、これを踏み鎮めて清めるという意味合いが隠されており、三番叟が能舞台の隅々を回るのはそのためであろうという興味深いご見解を示されていました。要するに、土地を踏み沈めて清めるというのは「依代」としての「場」(能舞台)を設えるという意味合いがあるということなのだろうと思いますが、中沢さんが言わんとしていたことを正しく理解できているか分かりません(汗)杉本博司さんが鎌倉時代に作られた翁面を持参されましたが、どこか妖気が漂っているような独特の雰囲気を持った面相で(歴史が刻む重みもあるとは思いますが)鎌倉時代の日本人は現代の日本人と比べて異界(超越的なもの)に対する鋭敏な感性を持っていたことが伺われます。中沢さんが面をかけるという行為について、俗世との接点である顔を面で覆い隠すことで自分の対外へ出て行くという感覚又は隠れた自分が出て来るという感覚が生まれるという趣旨のことを仰っていましたが、これが何ものかが憑依したという感覚に結び付くのかもしれません。この話との絡みで、萬斎さんが揉之段で肉体を極限の状態まで持って行って体を空洞化させ、鈴之舞で面をかけることで自我を消し去る感覚になるという趣旨のことを仰っていましたが、これによって「依代」としての「身体」が出現するということなのかもしれません。土地に住む悪霊を鎮めて清められた場と、内と外から無我になった身体に、松の木を伝って異界のもの(精霊)が降りてくるというイメージでしょうか。また、中沢さんが、黒式尉面が黒いのは異界(闇=黒)へ降り立つという象徴的な意味合いを持っているという趣旨のことを仰っていたのはとても興味深かったです。異界から俗世へ顕在する面は白(光)、俗世から異界へ降り立つ面は黒(闇)と言い換えることができるでしょうか?中沢さんが翁は此岸と彼岸の境目にあり、翁を媒介として此岸と彼岸を自由に行き来ができると語っていましたが、昔の日本人は遥かに広大な精神世界を持っていたのに対し、その精神世界を失い即物的な世界に雁字搦めになってもがいている現代の日本人の姿が浮かび上がってくるようです。現代の日本人がこの広大な精神世界を取り戻せるか今後の萬斎さんの活躍に期待したいですし、平成の世阿弥となり得るか萬斎さんの一挙手一投足から目が離せませんな。
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★
東京フィルハーモニー交響楽団
写真1を見る【演題】第50回東京オペラシティ定期シリーズ
【演目】モーツァルト ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488
<Pf>キム・ソヌク
マーラー 交響曲第1番 ニ長調「巨人」
【指揮】チョン・ミョンフン
【楽団】東京フィルハーモニー交響楽団
【会場】東京オペラシティ コンサートホール
【開演】19時
【料金】9000円
【感想】
今日はチョンさんが東フィルのスペシャル・アーティスティック・アドヴァイザーとしての最後の演奏会を聴きに行くことにしました。終演後、チョンさんと楽団員が舞台袖に引き上げた後も拍手が止まず、もう一度、チョンさんと楽団員を舞台に呼び戻してこの9年間の感謝を込めて怒号のヴラヴォーを浴びせました。観客に愛されている指揮者ですな。チョンさん@東フィルによるマーラー・ツィクルスが実現しなかったのは残念ですが、11月はチョンさん@東フィルによるブル8の演奏も予定されているので楽しみです。なお、会場には次期常任指揮者のダン・エッティンガーさんの姿もありました。
先ず、モーツアルトですが、モツアルの僕でもピアコンとオペラは好んで食します。そんな大好きな曲の1つがこれ。第一楽章では、まるで微風のように柔らかく繊細なオケの響きに乗って、韓国の若き俊英キム・ソヌクさんが曲に抗うところがない素直なアプローチの演奏を聴かせ、滑らかな右手でエレガントに旋律線を流しながら、やや重めのタッチで左手のリズムと和音を浮き立たせて絡め合う色彩豊かな演奏を楽しめました。木管との親密な呼応も音楽の色彩をより深める効果を生んでいたと思います。カデンツァでは(天衣無縫とまでは行きませんが)気ままに音楽と戯れるようにテンポを揺らしながら音楽に表情を作って行く演奏に惹かれました。第二楽章ではまるで爪に火を灯すようにして紡がれる繊細な響きには背筋が凍り付くような孤独感が漂い、1つ1つの音粒に音楽の行間が編み込まれるような意味深長で味わい深い演奏に魅せられました。弦がたゆたうように波打つなか、ファゴットとカラリネットがほの暗い哀愁に満ちた柔らかい音色を紡ぐ演奏に息を呑み、その余りの切なさに胸が締め付けられる思いでした。20代でこんな曲が書けてしまうなんて…。一転、第三楽章ではキムさんが軽快なタッチで華やいだ雰囲気が会場に広がり、ファゴトが忙しなく動き回るパッセージがオケ全体へと電波して行くユーモラスな演奏に、オケは細かいリズムを刻むパートでも響きが硬質にならず第一楽章の印象のまま柔らかくエレガントな演奏が聴かれました。
次に、マーラーですが、第一楽章では、冒頭のハーモニクスの張り詰めた清澄な高音が会場の空気を研ぎ澄まし、マーラーの独特な世界観が立ち込めました。カッコウのモチーフに象徴される自然界の音が次第に歌へと昇華されて行くマーラーの内的な営みの過程(インスピレーション)がそのまま音として再現されているような音楽的な意図が明瞭な共感溢れる演奏が展開され、牧歌的で雄大な音楽(自然)に包み込まれて行くような包容力のある演奏はマエストロならではです。マエストロと東フィルの当意即妙な呼吸感は9年の歳月をかけて培われてきた信頼関係の厚さを感じさせるもので、9年の総決算に相応しい演奏であったと思います。第二楽章では、もう少し賑々しく(或いはチャーミングに)遊ぶのかと思いきや意外とあっさりとした演奏が展開され、緊密なアンサンブルにはメリハリがあり、しっかりと着地点を見据えた見通しの良い演奏を楽しめました。第三楽章では、葬送行進曲での湿り気のある重い足取りのティンパニーとコントラバスによって陰鬱とした重苦しい空気が漂い、どこかウィットのようなものも感じさせる表情のある演奏を楽しめました。中間部のハープと弦が奏でる優美な主題が幻想的で美しく夢見心地の気分に浸りました。第四楽章、冒頭のシンバルの強力な一撃に心臓が止まるかと思いましたが(笑)、金管の重厚で輝かしい咆哮、弦の燃焼度が高く堀の深い音、その密度の濃い質感のある演奏には興奮させられました。いつもながらセカンドトップの戸上眞理さんの弾きっぷりに痺れました。ステキすぎます..(*^^*) 弦によってデリケートに紡がれる優美な主題の陶酔感..至福のひととき..このまま死んでしまいたい。主題に回帰する前の勇ましいティンパニーの連打とトランペットの輝かしい咆哮は鳥肌ものでした。そして、クライマックスでは勇壮な金管を皮切りに渾然一体となったオーケストラの突進力、これでもかというくらいオーケストラの音を膨らませてピークを築いて行く力強い構築感、高揚感に爆死状態でした。圧倒的なものに接したときの抗いようのない感覚、そう幼稚園のときに我慢できずとうとう失禁してしまったときのような、あの脱力感..。あの懐かしい感覚に近い聴後感がありました。
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★
小山実稚恵
写真1を見る写真2を見る【演題】土曜ソワレシリーズ 女神との出逢い
シューマン生誕200年記念「シューマンの想い」
【演目】シューマン アベッグ変奏曲ヘ長調 Op.1
子どもの情景 Op.15
幻想曲ハ長調 Op.17
【出演】小山実稚恵
【会場】フィリアホール
【開演】18時
【料金】4000円
【感想】
今年はシューマンとショパンの記念年ですが、今日は小山実稚恵さんがシューマンにスポットをあてた演奏会を開催するというので聴きに行くことにしました。僕にとってシューマンは(ショパンと比べても)とても重要な作曲家です。今年はショパンにスポットをあてた催しは数多く開催されると思いますが、是非、シューマンにスポットをあてた催しも数多く開催されることを望みたいですし、そういう催しを応援していきたいと思っています。
先ず、アベック変奏曲ですが、滑らかなタッチによるシルキーな肌触り感のある主題提示からして作品を慈しむような真心の篭った演奏が聴かれ、これに続く3つの変奏では右手と左手が絶妙なコンビネーションで絡み合う技巧的な遊戯性が感じられる演奏を楽しめました。カンタービレでは甘美に歌わせるだけではなく浸透力のある響きによる空間的(又は精神的)な広がりを感じさせる含蓄のある演奏が味わい深く、フィナーレでは憧憬感の漂う余韻のある演奏に魅せられました。
次に、子供の情景ですが、第1曲から繊細なニュアンスに富む穏やかな語り口の演奏に惹かれ、第7曲も優しく囁きかけるようなデリカシーのある演奏に夢見心地の気分となりました。そして、第13曲が出色でして心を研ぎ澄ます静謐な響きで内省的な深みのある演奏に心を奪われました。全体を通して穏やかで温もりのある幸福感に満ちた演奏が心地よく、どこか躊躇いがちで繊細な音楽に癒やされてしまうのでした。ああ草食系の音楽..(u_u*)
最後に、幻想曲ですが、第一楽章ではデリケートな音運びで仄かに香り立つ叙情、寄せては返す波のような激しい感情(パッション)のうねり、そしてほの暗い陰影が複雑に絡み合い音楽的なドラマを織り成す多弁な演奏に惹き込まれました。第二楽章では多少のミスタッチは気になりましたが、歯切れの良いリズムとエネルギッシュな躍動感のある演奏が楽しめました。第三楽章ではまるで鍵盤を愛撫するように柔らかいタッチから紡ぎ出される、幻想的で穏やかな空気に包み込まれるような温もりのある演奏に心が洗われるようで、蝋燭の火が消え入るような余韻のある終わり方に酔いました。ロベルトのクララに対する暖かい眼差しが感じられる優しい音楽であり演奏でした。今日のお客さんは演奏が終わって直ぐに拍手を開始してしまうような「叩きたガール」はおらず、音楽の余韻を楽しむことができたのもグットでした。ピアニストが鍵盤から完全に両手を下ろすまでは拍手をしてはいけません。
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★
【映画】シャネル&ストラヴィンスキー
写真1を見る写真2を見る写真3を見る【題名】シャネル&ストラヴィンスキー
【監督】ヤン・クーネン
【出演】<ストラヴィンスキー>マッツ・ミケルセン
<シャネル>アナ・ムグラリス
<妻カリーナ>エレーナ・モロゾヴァ ほか
【会場】Bunkamuraル・シネマ(渋谷) 10時40分~
【料金】1700円
【感想】
今日は映画「シャネル&ストラヴィンスキー」を観に行ってきました。ネットなどでは心ない酷評なども見かけますが、久しぶりに面白い映画を観たと思います。現在、公開中なので、あまり変な予断を与えないようにごく簡単に感想を残しておこうと思います。
http://www.bunkamura.co.jp/cinema/now/index.htmlhttp://www.chanel-movie.com/この映画はバレエ音楽「春の祭典」の初演シーンから始まりますが、ストラヴィンスキーやモントゥーの手記などに沿って忠実に再現されたもので非常に興味深いです。当時の観客はストラヴィンスキーの斬新な音楽だけでなくニジンスキーの前衛的(というか異様)な振付にも拒否反応を示して騒ぎ出したことが再現されています。また、モントゥーが楽団員にメロディーを忘れてリズムだけを意識しろと指示しているところやニジンスキーが舞台袖で半狂乱でテンポを叫んでいるところなども克明に再現されていて興味が尽きません。この春祭の初演シーンだけでも見る価値はあります。
シャネルとストラヴィンスキーの関係についてどこまでが史実でどこからが脚色なのか判然としませんが、ストラヴィンスキーが2年間に亘ってシャネルの邸宅に居候していたことは事実ですし、ストラヴィンスキーがシャネルに曲を捧げている事実などからも、恋多き女シャネルとの間に情事がなかったとは言い切れないのではないでしょうか。いずれにしても、この映画はシャネルとストラヴィンスキーの心理面まで掘り下げられた人物描写がよくできた作品で、生真面目で几帳面なストラヴィンスキー、女性的な面と男性的な面を併せ持つ孤高なシャネルという人物像が浮き彫りになっています。シャネルの№5が生まれたグラース(南フランス)の映像も出てきますし、シャネル役のアナ・ムグラリスさんの肢体が目も眩むほどの美しさなのでお見逃しなく。なお、この映画ではCHANELが衣装を担当したそうですが、シャネルが身に着けていた当時の衣装が現代でも全く古びて見えません。「モードは廃れても、スタイルは廃れない。」というシャネルの名言のとおりかもしれません。現代は、モードは氾濫していますが、スタイルと呼べるような歯応えのあるものは生まれていないような..。
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★
WORLD CLASSICS@CINEMA
写真1を見る【演題】WORLD CLASSICS@CINEMA
【演目】チャイコフスキー くるみ割り人形
<金平糖の精>アレクサンドラ・アンサネッリ
<王子>ヴァレリー・ヒリストフ
<クララ>イオナ・ルーツ
【指揮】クン・ケセルス
【出演】ロイヤル・バレエ団
【演出】ピーター・ライト/レフ・イワノフ(振付)
【会場】新宿バルト9
【開演】13時10分
【料金】3,500円
【感想】
柳の下に2匹目のドジョウがいました。METライブビューイングに続いて、今年からWORLD CLASSICS@CINEMAなるバレエとオペラの最新の公演を収録したライブ映画が公開されることになりました。海外の最高峰の舞台を、鮮度の高いうちに、格安の料金で、しかも、映画館の巨大なスクリーンと最高級の音響設備で鑑賞できてしまうというファンにとってはありがたいニューメディアの登場です。METライブビューイングのように定着してくれるとありがたいです。生舞台に勝るメディアはないと思っていますが、映画ならではの良さというものもあり、生舞台では望むべくもないアングルからダンスやマイム、演技の細部まで具に鑑賞できてしまうという生舞台では味わえない魅力を兼ね備えています。その意味で、ロイヤルバレエ団のような演劇性の高い舞台を鑑賞するのには向いているかもしれません。まだ公開中なので、変な予断を与えない程度にごく簡単な感想を残しておきたいと思います。正直、バレエは得手な分野ではないので、いつも以上にトンチンカン(漢字で書くと、頓珍漢)なことを書くかもしれませんがご容赦を。
http://livespire.jp/opera/感想を執筆中。
評価:★★★★★
能楽現在形 劇場版@世田谷
写真1を見る写真2を見る写真3を見る【演題】能楽現在形 劇場版@世田谷
【番組】半能「高砂 八段之舞」
<シテ/住吉明神>観世銕之丞
<ワキ/神主>宝生欣哉
<アイ/所の者>野村萬斎
<笛>杉信太郎
<小鼓>幸正昭
<大鼓>亀井広忠
<太鼓>大川典良
<地謡>梅若晋矢、山崎正道、角当直隆
長山桂三、川口晃平
能「邯鄲」
<シテ/盧生>観世喜正
<ツレ/舞女>鵜澤光
<ワキ/勅使>宝生欣哉
<ワキツレ/廷臣>工藤和哉、森常太郎、野口琢弘
<ワキツレ/輿舁>梅村昌功、大日方寛
<アイ/宿の女主人>野村萬斎
<笛>一噌隆之
<小鼓>成田達志
<大鼓>亀井広忠
<太鼓>観世元伯
<後見>佐久間二郎、坂信太郎
<地謡>梅若晋矢、山崎正道、角当直隆
長山桂三、谷本健吾、川口晃平
【会場】世田谷パブリックシアター
【開演】13時
【料金】6000円
【感想】
今日は能楽現在形<劇場版>の3日目を観に行ってきました。以前、NHKの「美の壺」で枕を採り上げていたことがありますが、枕の歴史は古く、意外と奥深い世界があります。うちの近所の整形外科に「枕外来」なるものがありますが、昔から枕の問題は人間にとって重大な関心事であることに変わりないということなのでしょう。能だけでなくより良い睡眠の探求も「果てあるべからず」と言ったところでしょうか。昨日と感想が重なるところが多いので、昨日と印象が異なったところのみを簡単に書き残しておきたいと思います。(もう公演が終わったのでネタもバラしちゃいます。)
http://www.nhk.or.jp/tsubo/program/newprogram.html先ず、半能「高砂」ですが、「高砂や、此浦舟に帆をあげて、此浦舟に帆をあげて」の謡に合わせて鏡板の代わりに舞台の奥に張られた松が描かれた白幕が(まるで帆をあげるように)引き上げられ、そこ(松の中)から住吉明神(前場では松の精)が現れるという趣向でした。今日はややシテと囃子の呼吸が合っていないように感じられたところがあり、また、舞の緩急の変化もスムーズでなかったような印象を受けました。最後に、再び白幕が引き上げられ、松の中(闇)へと住吉明神が帰って行くという演出はイマジネーションを掻き立てるもので楽しめました。
次に、能「邯鄲」ですが、同じ作品、同じ流派でもシテによって印象が異なるもので、昨日の観世銕之丞さんが演じる盧生はどこか人間味のある愛嬌を感じさせるものでしたが、今日の観世喜正さんが演じる盧生は(まるで夢幻能を観ているような)幽玄な趣きすらある神妙なものでした。喜正さんの声には艶があり発声も明瞭で、その情緒的で気品のある謡と洗練された流麗な舞いが魅力的でした。シテが舞を舞う場面での囃子が出色でして、その精妙で活力に満ちたリズムや味わい深い情趣など平成版「至高の四重奏」を聴いているような好演でした。近々、この囃子方四人組が出演する公演があるので、(まだチケットが取れれば)観に行こうかと思っています。オリジナルの能「邯鄲」を観たことがないのでオリジナルではどのようになっているのか分かりませんが、50年の歳月の移り変わりを照明の切替えとワキやツレの速いハコビで表現し、夢から醒めるときに急(動)から緩(静)へと瞬時に舞台が切り替わる演出が素晴らしく劇的な効果を生んでいました。また、これもオリジナルではどのようになっているのか分かりませんが、夢の世界に入るときと夢の世界から醒めるときにワキ又はアイが扇子を二回叩きますが、これによって観客も夢と現の間を一気に飛び越えてしまう効果を生んでいました。凄いアイディアですな。ここでも照明が効果的に使われていたことを付言しておきましょう。DVDを出さないかしら?
詳しくは後ほど。
評価:★★★★★

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